生きるために多くの人と出会い、教えを請い、師と仰ぎ、そして逝くことが人生!

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先月、9月11日(金曜日)11時50分、電話が鳴ったんですね~

その電話は8月末の2週間前に会った時から待っていたとも思えるもので、そして「ついに来たか~」という悲しさが咄嗟に溢れんばかりにこみあげてくるものだったのです。

私が22歳で社会に出た際に旭川で出会い、それから今まで約45年間もズーっと世話になり続けてきた前職の先輩であり、上司だったIさんが逝ったのです。

前職では、私は営業マンとして育ててもらったのですが、Iさんは営業と真逆の管理の責任者の立場だったので、業務上の考え方は水と油なのです。

ですから、仕事上においては営業の無理難題を理解してもらうためにいつも議論したり、ある時は喧嘩するほどの激しい話し合いをしていたことを思い出すのです。

しかし、そのほとんどは「馬鹿野郎~そんなことができるか!NG」の答えだったのです。

それでも、このIさんは仕事上では厳しい中、人間的にやさしく、たくさんのことを教えてくれたのです。

8月下旬、Iさんから紹介してもらって30年ほどの付き合いになる床屋のマスターから病状を聞いて、早速自宅へ面会に行ってきたのですが、会った瞬間に「かなり厳しいな~」と感じ、同時に涙が出て、帰りには「頑張れ~」との思いもあって握手をしてきたのです。

それから、わすか2週間もたたずに逝ったことは悲しく残念です。

しかし、人が逝くことは必然であり、その必然を活かしていくことが我々生きる者の責務と捉えていこうと思うのです。

そこで、Iさんとの45年ほどの付き合いを振り返ってみようと思います。

45年前、私は北海道ソニー販売(株)に入社し、第一赴任地である旭川営業所で社会人の第一歩をスタートさせたわけですが、その時のレクリエーションの模様です。

  • 写真の場所は、記憶では摩周湖

Iさんは前列左。その右側が私です。

右端は私が営業の師と仰いだOさん。このOさんとIさんとの出会いがSONYで生きる土台となり、スキルを磨くことができたわけです。

  • レクリエーションでの宴会(川湯か阿寒湖畔の温泉宿)

当時の旭川営業所所長のMさんにビールを注がれるIさん。左が私。

M所長との出会いも私にとっての最大の縁であり、一番の出来事は「クビになる事件を起こしながら、一緒になって謝罪に歩いてくれたこと」です。

M所長との出会いが無ければ、私は全く違った人生を送っていたのです。

  • 入社14年後、釧路営業所所長時代にIさんとアメリカ研修へ

写真はニューヨーク、またはワシントンのソニーアメリカ本社だったのかな~

  • 北海道から2名が選抜されて2週間ほどのアメリカ研修旅行は宝物

2週間、部屋も行動も一緒だったのですが、楽しかったですね~

ニューヨークマンハッタンのビル街、オーランドのディズニーランド、ラスベガスのスロット、グランドキャニオンの遊覧飛行、そして本来の目的であるアメリカの家電流通の現状は百聞は一見に如かずの知識なり、それらは鮮明に記憶しているのです。

  • アメリカ研修旅行の団長Yさん。

Yさんは北海道ソニー入社時の社長で、Yさんからもたくさんのことを学びました。感謝!(Yさんは残念ですが、60歳前にSONY在籍中に亡くなられています)

  • アメリカ研修旅行は全国から30名ほど。その中で同期の京都ソニーN君と再会。

1か月半の新入社員研修ではN君と同じグループだったわけですが、個性的な人柄は京都で大活躍。そのご褒美からアメリカ旅行で再会できたことは縁かな~と思います。

Iさんとはその後も公私ともに付き合い、Iさんが東京や名古屋へ異動となった際には私が出張の際に会って酒を飲んでいたのです。

その後、お互いにSONYの早期退職を決断し、第二の人生を歩いたわけですが、私が第二の人生を決断した際にお願いしたことがあるのです。

「私が起業した際は3年間顧問としてサポートしてほしい」

その理由は営業経験のみの私にとってIさんは管理という180度違った目線で見てくれると考えたからです。

また、Iさんのあらゆる指摘は素直に聞くことができ、私にとって納得できる安心感が心強く、真の信頼関係があったからです。

その一つの事例はSONYを卒業し、ビジネススクールに行った際にこんなことがあったのです。

ビジネススクールでの企業分析の最初レポートは自分なりに自信満々に書いたものだったのです。

ところが、攻める視点の戦略やマーケティングは評価が高いにもかかわらず、財務分析では赤ペンだらけで最低の評価だったのです。

しかも、その赤ペンが何を言っているのか、全くわからないのです。

そこで、思い付いたのが「Iさんに聞いてみよう」

すると、「俺は簿記3級の資格のない人間なので、目的にマッチしているかわからないよ~」と言いながら、財務分析の視点と考え方をSONYの実務経験をもとに話してくれたのです。

その指摘はビジネススクールの授業で教えてもらった視点とは違うもので、あくまでも実務上の経験から得られた知識であり、独特の視点だったのです。

ですから、私にとっては目から鱗が落ちる衝撃があったのです。

そのことは15年ほど前の出来事ですが、現在の事業にも生かすことができ、私のスキルになっているのです。

それ以降、苦手だった財務分析が面白くなり、評価が上がっていったことを思い出すのです。

その後、計画通りに起業し、太陽光発電事業をスタートした際は顧問となってサポートしてもらったのです。

写真は2010年12月忘年会時。わずか5名で太陽光事業を立ち上げた時期です。

毎月1回、試算表を見てもらいながら指摘を受けていたのです。

そして、3年を経過したころから「俺の役割はここまで!」ということで納得し、その後は一年に1回から2回ほど、様子見を兼ねて遊びに来るお付き合いだったのです。

45年という長い付き合いの中で、私を支えてくれたことに感謝するのです。

そして、また次の場所で再会できることを祈って、私自身はもう少し頑張ってみようと思うのです。

そのIさんとの時間を振り返っていくと、現在の事業においてもSONY時代の人たちに支えられているな~と思うのです。

  • 元SONYの営業マンは現在、造園家へ変身のHさん

Hさんが企画設計し、一人で造り上げた庭(アーチもHさんの手作り)

造園家Hさんに協力してもらっている仕事。

  • 当社所有物件のメンテナンスは満足度最高

【ビフォー:草だらけ】

【アフター:奥までスッキリ】

  • 不動産物件の庭づくり【荒れた庭を人工芝へ変身】

Hさんは企画・設計から実践まですべて一人で行うのです。

元SONYの営業マンだったとは?!どこからそのスキルを磨いたの?!と思わせる出来栄えなのです。感謝!

そして、現在は新事業の立ち上げを目的に3年目を迎えているのですが、EV関連機器がやっと形になっているのです。

それが30年前に同じ釜の飯を食ったS氏との縁なのです。

最初の2年間は大きなヒットになるまでに至らなかったのですが、昨年末から模索してきたモデルは事業として確立するところまで来ているのです。

今年1年間の売上目標は1億円ですが、ほぼライン上に乗り始めているのです。

S氏とは二十数年間のブランクを経て再会し、その後新事業を確立するために奮闘してきたわけですが、この期間をジーっと我慢できたのは同じ釜の飯を食ったお陰であり、ビジネス文化の温度を共有できるからと思うのです。

この事業はもう少し時間をかけて成長させていこうと思っているのです。

社会に出てから多くの人と出会い、教えを請い、師と仰ぎ、66歳まで生きることができたな~と思います。

そんな中、この年齢になってくると、逝く人も増え、悲しさを覚えますが、これが人生です。

ですから、出会いを大切に、その出会いから学び、吸収し、知識としていくことが大切と感じます。

また、それらの出会いに感謝して、これからも努力していこうと思うのです。

Iさん、心から感謝します。ありがとうございました。

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