写真は20年も前のSONY時代のものです。
ソニーマーケティング東京本社(通称:高輪)時代に撮ったものですが、起業後はずーっと私のデスクに飾っているものなのです。

当時はデジカメの黎明期でしたが、まだ一人一台の時代ではなかったのです。また、携帯にはカメラが付いていなかったのでしょうね~
だから、アナログ写真しかないのです。
左から3番目が私。若いですね~
東京の生活は単身赴任でしたから仕事中心の毎日だったことを思い出しますが、同時に全国をぶっ飛んでいたことを思い出します。
その相棒が写真の右から2番目のちょっとぷっくりしていたN君。
彼は自ら話しするような人ではなく、何を考えているのだろうと思うほどに無口なのですが、頼りがいがある人だったのです。
ですから、出張に行く際はいつも彼を引っ張り出していたのです。
彼の頼り甲斐とは技術的スキルが高く、わからないことはいつの間にか知識にしていることの凄さなのです。
「わからないことがあれば、N君に聞けば何とかなる!」
特に、私の場合はイケイケどんどん!タイプのため、多少不可能でもやろうとするわけです。
その可能性はN君の存在であり、出した答えの裏付けは「何とかしてくれる!」という彼の責任感を裏付けにしていたように思うのです。
また、二人で全国を飛び回っていた出張先で思い出すことが多々あるんですね~
N君のいびきで寝れなかった釧路での研修会。
青森での仕事後にねぶた祭りを見た後、五所川原まで足を延ばして立佞武多を見たこと。
高松に行けば讃岐うどん。全国のB級グルメでは一番であり、しょうゆだけを垂らしたぶっかけを二人で食べたことを思い出します。
高知のカツオのたたきは今でも忘れられない!
広島では飲んだ後の最後のお好み焼き。札幌ではラーメンが当たり前ですが、お好み焼きも美味かったな~
石川から富山に向かう立山連峰は絶景!北アルプスがあんなに近くに見れる美しさに感動したことを思い出します。
そのN君と全国行脚した仕事が以下の写真の新しい2つの仕組みを構築であり、全国導入だったのです。
そして、それらを社内に運用を定着させることだったのです。

当時はちょうど2000年を迎えようとしていた時期でしたから、ネット環境はまだアナログだったのです。
にもかかわらず、取引先への営業情報をネットで提供しようと考えたんですね~
今や当たり前の環境ですが、当時としては国内でも最先端の仕組みだったわけで、それを全国へ導入しようとしたことは今考えるとすごいことだな~と。
何故なら、リーダである私はIT音痴。
どうして私がこのミッションを受けることになったのか?!
多分、北海道から来た多少元気のある奴にやらせておけ~
と、私の強みとして推進力だけはあったのでそんな人間力みたいなものだけで担当になったのでしょう。
そのため、そのメンバーはITが強い人間を他部署、そして全国からチョイスしてプロジェクトチームを作って推進したのです。
もう20年以上も経つことですが、振り返ると楽しかったですね~
IT音痴の私は当時、かなり苦しかった記憶があるのですが、今振り返るとこんな面白いことをやったのか~と思い出し、その経験が起業後の事業に生きているのです。
その要素となるものは改革していくこと、かつ既存の仕組みの破壊と創造への考え方であり、それが不可能への挑戦という考え方を培うことができたな~と思うのです。
その経験が今を生きる源泉となってきたのです。
そんな中、先週はN君が”定年”を迎えるという連絡があり、お祝いのコメントを送ってほしいとのことだったのです。
うれしい連絡でしたね~
SONYを卒業してすでに15年も経つわけですから、浦島太郎状態と思いながらお礼のコメントを送らせていただきました。
「SONY卒業、おめでとう」
そして、人生において記憶に残るN君との出会いに感謝!
「ありがとうございました!」
60歳という人生の一つの節目ですが、これからの人生は長く、またSONYで培ったスキルは必ず社会に役立ちます。
また、N君独特の頭の良さ、知識習得の集中力、その知識を説明・説得する表現力は他に類を見ない絶対的な強みです。
それらの強みを生かして第二の人生をエンジョイしてほしいと思います。
N君、頑張って!!!

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